箱根富士屋ホテル 2017 その4 万国髭倶楽部:日光金谷ホテルから来た破天荒婿様 山口正造氏
2017年 05月 23日
この山口正造氏、富士屋ホテル同様に日本のリゾートホテル草分け「日光金谷ホテル」創業者の次男。1907(明治40)年に富士屋ホテル創業者・山口仙之助氏の長女、孝子(こうこ)さんの元に入婿。この主張の激しい見事なヒゲからも分かる様に、実に破天荒な人だったそう。
17歳の頃、かつて東照宮勤めの武士であった父親に猛反対されるも、どうにか旅費を工面してもらい単身渡米。給仕や日本人相手の英語教師などで食いつなぎ、知人のツテを辿り英国へ渡り大使に直談判してロンドンの日本大使館でボーイ勤め。大使の帰国と共に失職するも、二人の柔道家と共に柔道の興行を始め、ついにはロンドン市内に柔道学校まで開校、成功し屋敷に住むように。この時22歳、単身渡米からわずか5年。
下宿業を営む家の英国女性と恋に落ち、結婚を望み父親に結婚の許可を求める手紙を書いたところ「日本女性以外には決して結婚してはならぬ(中略)ーもしそれでも結婚するなら、もうお前は死んだものと思うから、帰ってこなくていい」彼は悩み、結局は彼女との結婚を諦め、1907(明治40)年、8年の外国放浪生活を終えて帰国の途につき、そして同年12月に富士屋ホテルへ婿に入る。
その後、当時としては最新式、90年以上経つ現在でも現役で"東洋一"と呼ばれる事もあった程の、鉄筋コンクート造り・タイル張り内装に総ガラス張り、自然光の入る天井の厨房を造る。大正12年9月1日に関東大震災を受け、復旧に奔走。現在も活躍するメインダイニング「ザ・フジヤ」「花御殿」の設計。
妻・孝子さんとは不和により大正15年に離婚するも山口姓のまま富士屋ホテルにトップとして留まる。その後再婚する事なく独身を通す。従業員の教育に力を入れ、ホテルマンの育成を目的とした富士屋ホテルトレーニングスクールを創設。
参考:「箱根富士屋ホテル物語 新装版」山口由美著 トラベルジャーナル社(著者の曾祖父は富士屋ホテル創業者、山口仙之助氏)