イースタン&オリエント急行18 戦場にかける橋:映画と墓地など
2017年 03月 03日
その英国人老ガイドの解説を聴いてから入場する順路になっています。日本人ツアー客の皆さんへは添乗員さんがイヤホンを配り同時通訳サービス開始。(個人手配旅行組の私達夫婦には勿論、そんな丁寧なサービスは無しです)日本軍は、これこれこんな日時・経路で東南アジアに侵攻しましたという様な事を解説しているのは大体分かりました。
日本人ツアー客の中に戦中派とおぼしき歳の頃の小柄なご老人が一人おり、足元もおぼつかない様子で(椅子は無く皆立ちながら話を聴くスタイル)よろけつつもジッと静聴。彼の周囲にいた非常に大柄な白人オジさん達が、その日本老人を気遣っていたのが印象的。
次第に解説が冗長になってくると、ポロポロと館内に入っていくゲスト達も。それを見て夫が、もう先に入っていい?と小声で言い私も次第に退屈になっていたので(学校の朝礼で校長先生の長話を聴かされている感じ)さりげなく離脱。館内はあまり広くなく、工事の様子を再現した模型や当時の写真等が展示されていました。
出口近くに売店があり販売されていたDVDをチラリと見ると、日本兵のイラストに表題が "BUSHIDO" ーなるほど映画「戦場にかける橋」冒頭には '日本の武士道と西洋の騎士道はその根本的なところで一致する' なんてナレーションもある位で。日本側主役、斎藤大佐に扮するのはハリウッド初アジア人スターという早川雪洲。(撮影時は60代後半)作中の斎藤大佐は、着物を着流し書をたしなみ、スコッチや葉巻も嗜好する‥などという何だか出来過ぎな位の、欧米人から見て格好の良い東洋人。
↓1957年公開「戦場にかける橋」有名曲"ボギー大佐のテーマ"ほか早川雪洲演じる斎藤大佐の登場シーンなど映画ハイライトを3分程に凝縮させた紹介動画
蛇足ながら実際のクワイ河鉄橋は日本軍鉄道隊による設計、泰緬鉄道の敷設は日本軍指揮による多国籍部隊によるものでビルマ人約9万人、マライ人約7万5千人。英国人約3万人、オランダ人約1万8千人、オーストラリア人約1万3千人、米国人は約700人。日本人約1万5千人。白人捕虜のみで構成されていた訳では無いそう。
それはさておき。一通り館内の展示物を見て外に出ると、マレーシアのクアラカンサーの時と同様にE&Oスタッフから冷えたミネラルウォーターと冷たく良い香りのするオシボリを渡されました。各自、自由行動で定刻までに墓地入口に停車中のバスに戻って下さいとの事。
↓6982名の墓石が並ぶ中央に建つ慰霊碑にジャスミンの花輪を一番乗りで献花
献花してバスに戻り、他のゲスト達もチラホラと戻って来てバスは発車。E&Oの待つカンチャナブリ駅に着きました。
さて一路、終点バンコクへ。その前に、最後のランチです。
博物館の展示品に、勾配やカーブの図面の鉄道の設計資料があり、設計図面はまともな物でした。実際の工事は大変だったようです。
墓地に慰霊碑もあったのですか。気が付かなかったので、近くの墓石にジャスミンの花輪を捧げてきました。
後から思うと、ジャスミンの花輪は、使い回ししているように思いました。
入場してすぐの所に例の図面と老ガイドが待ち構えて(苦笑)おり、凄く撮影したかったのですが館内につきダメで残念。設計図面はまともだったのですか、さすがは日本の技術力ですが、熱帯雨林の風土を思うと工事は過酷極まるものだったのでしょうね‥ 花輪の使い回し、どうも香りが薄かったですし、まあそんな事もあるかもしれませんね、、。